黒い幻影





 彼は人と過ごした。和気あいあいと。この一時がまだしばらくは続いたらいいのになと思った。それほど充実していたし、目の前のこの人を信頼していたのだった。しかし時間は流れるし、夜は来るし、明日は来る。共に過ごした人と別れた彼は、帰路についた。さわやかな気持ちだった。一人でいるのに、会話していた時のまま何かしら自然と表情が浮かんでいやしないかと、少し気になった。彼は回想した。会話の内容、自分の発した言葉、相手の表情、目線のやり場、何気ない瞬間の視界……するとなぜか、だんだんと心がもやもやしてくるのだった。何か後ろめたいようなことをした訳ではない。何の問題もなかった。
 もやもやした感じは次第に大きくなり、無視できないものになっていく。いくらか経ったある日、彼は座っていた。その時だった。もやもやした感じはたちまち形をなしていき、黒いようなあの人になった。それは恐ろしいのだった。またきた、こいつが…。分かっている。こいつはあの人ではないんだ。だってあの人はあの人であって、おれにとってはあの日のあの人が、最もあの人なんだから。でもなぜか、こいつの表情、こいつの持つ雰囲気、こいつの印象…にはやけに説得力というか、迫るものがあるんだ。
「不気味なことだ。この幻影が、なぜかおれと非常によく似ているということは」
 さらに日が経っていくにつれて、それに抱く不安や不信は、ほとんど憎しみのようなものに変わってゆくのだった。

 彼は、その人とまた会うのだが、こわばってしまうような気がして、恐れた。会った。過ごした。この一時がまだしばらくは続いたらいいのになと思った。それほど充実していたし、目の前のこの人を信頼していたのだった。しかし時間は流れるし、夜は来るし、明日は来る。共に過ごした人と別れた彼は、帰路についた。









「それだけ」(2018年7月)